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卒業特集2009


(18)水泳部/古賀淳也
『トップアスリート』として――

 センターポールに揚がったのは、日の丸だった。2009年世界水泳選手権・ローマ大会。ワセダから金メダリストが誕生した。100メートル背泳ぎを制した古賀淳也(スポ)は、順位とタイムを確認すると、噛み締めるように小さく笑った。当時の日本新記録となる52秒26は、大会新記録に相当する。思わぬ好記録に、会場は大きくどよめいた。また、古賀は50メートル背泳ぎ決勝でも、24秒24の日本新記録で銀メダルを獲得。世界選手権の競泳個人種目での金メダル、そして1大会に複数メダルを獲得するのは、北島康介(日本コカ・コーラ)以来2人目となる快挙だった。

 「もっと速くなりたい。それしか考えていなかった」。古賀の活躍は、入学当初から目まぐるしかった。1年時のドーハ・アジア大会での50メートル背泳ぎ優勝を皮切りに、2年時には日本選手権で50メートル背泳ぎ優勝、日本学生選手権(インカレ)で100メートル背泳ぎ優勝と、国内、海外ともに成績を残す。しかし3年時、期待された日本選手権で直前に痛めた足首が影響、100メートル背泳ぎで4位に終わり、北京五輪への出場を逃した。「悔しさ」と「注目されたい」という思いで、髪を染めピアスを開けるなど横道にそれた時期があったという。それでも、「もう一度気持ちを切り替えなおして水泳に対して向き合っていこう」と誓い、出直した。これが一つのターニングポイントになった。2008年度冬季から、専属トレーナーの勧めで、故障の要因となっていた陸上トレーニングや中途半端に行っていた筋力トレーニングを止め、水中トレーニングに集中。さらに、量を泳ぎ込む練習から、フォームやスピードなどの細かな質を求めた練習に転化。より徹底的に強化したスピード力が花開いた。4年になり、日本選手権の50、100メートル背泳ぎで二冠達成、ともに当時の日本新記録を樹立する。そして迎えた世界選手権・ローマ大会、ついに世界チャンピオンの栄冠に輝いた。

 悲願の世界王者となった古賀。しかし『世界の古賀』は、それ以前に『ワセダの古賀』でもあった。自身にとって、大学4年間を通して世界水泳以上に心に刻まれた大会がある。それは、古賀にとって学生最後の大会となったインカレだ。早大は400メートルメドレーリレーで16年ぶりの優勝を果たした。「世界水泳は自分のことだけに集中して行って結果を出してきただけなので、むしろ実感というのはなくてそれよりはインカレでみんなで取った金メダルの方が大きかった」。普段あまり感情を表に出すことなく、派手なガッツポーズも滅多に見せない古賀。そんな古賀の頬を、レース後、涙が自然とつたった。4年間の思いがつまった、チームを思うがゆえの、感涙の涙だった。

 「成長」。古賀は自身の4年間をそう表す。精神的な部分においても、競技の面においても、「トップアスリートとして」成長し、結果を出すことにこだわってきた。古賀のトップアスリートとしての自覚は、礼儀礼節としても表れている。『礼に始まり礼に終わる』――この座右の銘を胸に、レース、取材前後には必ず一礼。ともに泳いだ選手を労い、レース後大げさなリアクションはとらない。その、一競技者、一人間としての真摯な姿勢は、実力に付随する形で確実に結果に反映されてきた。今季は、水族館でイルカの動きを観察して改良したバサロキックにも手応えを感じ始め、さらなる光が見えている。ワセダから生まれた大器は、これからも日本水泳界を引っ張り、世界を沸かせてくれるだろう。ロンドン五輪を、そしてその先の未来を見据えて―― (記事 片貝早輝子、カメラ 杉山幸美) 

    

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