携帯アクセス解析

卒業特集2009


(16)野球部/松下建太
 「日本一のサイドスロー」へ

 時に遠回りもしてきたかもしれない。でも、やっとたどりついた場所だった。

 2009年10月29日、運命のドラフト会議。松下建太(スポ)にとって、決して順風満帆といかなかった早大での野球人生。結果を待つも、半ば諦め状態だった。それでも出した、プロ志望届。そこには、高知・明徳義塾高時代からの4年越しの夢が詰まっていた。人一倍強い、プロへの想いがあった。

 そして、その想いはついに届いた。「埼玉西武ライオンズ、松下建太」――5巡目で自らの名前が呼ばれた瞬間、松下の目には涙が溢れた。

 プロ野球選手としての経歴を持つ父と話し合い、悩んだ末進んだ大学進学という道。入学以前は「早大がどういう大学なのかすら全く分からなかった」と話すほどだったが、入部直後の1年春に神宮デビューを果たしてからは、部の中心選手になるべく精進する毎日。入部当時に掲げた目標が「日本一のサイドスロー」であるように、松下の投球の持ち味は、なんといってもサイドスローという特異なフォームから繰り出される140キロ前後の直球だ。これを武器に神宮のマウンドで先発・中継ぎ・抑えとどんな役割をもこなし、2年春には最優秀防御率賞を受賞。続く全日本選手権では胴上げ投手となり、最優秀投手賞を受賞。この年は斎藤佑樹(教3)のルーキーイヤーであったが、負けず劣らず松下もまた確固たる地位を築いた一年であった。

 しかし、3年の春、プロという目標に向けて順調に歩を進めていた松下の野球人生に暗雲が立ち込み始める。明大1回戦、斎藤・大石達也(スポ3)の必勝リレーで早大の2点リードで迎えた9回裏、それまで絶好調だった松下は最終回のマウンドを託される。しかし、安打、適時打を許すと最後には非情にも荒木郁(明大)から逆転サヨナラ2点本塁打を浴びせられ、敗戦投手となってしまう。この試合をきっかけに、松下にとって苦悩の日々が続く。「自分のフォームが分からなくなってしまい、ピッチング練習をすることさえできない日もあった。これはピッチャーをやめて野手に転向した方がいいのかと考えた時期もあった」。野球人生初のベンチ外という屈辱をも味わうことになる。何とか不振から脱しようと持ち味であったはずのサイドスローを捨て、オーバースローに転向するも、状況は好転せずもがき苦しむ日々が続いた。

 それから一年たった、昨秋の慶大2回戦。優勝こそもはや絶望的な状況での登板だったが、そこには早大野球部のエースナンバー『11』をつけ、再びサイドスローでキレのある球を投げ込む松下の姿があった。野球部での確固たる地位と、自らのフォームを取り戻した松下。「3年生の挫折がなかったら天狗になっていた。あの時があったから本気になることができた」と語る通り、その時間は松下の野球人生にとって必然的だったのだろう。そして、今の復活は周囲の支えがあったからこそだ。「大学4年間で一番学んだことは、色々な人から支えられて自分が野球をやれていると分かったこと」――早大に入って、松下は一回りも二回りも大きくなった。

 決して遠回りなんかじゃなかった。すべてはプロの舞台へとつながる道だった。ライオンズの入団会見で「一番憧れていた球団に入れてうれしい」と満面の笑みを浮かべた松下。ライオンズには、まさしく「日本一のサイドスロー」だった潮崎哲也コーチがいる。憧れの師のもとで切磋琢磨し、これからは獅子の一員として目標をかなえるべく暴れ回る。躍動感溢れるピッチングでプロ野球界に名をとどろかすその日まで――苦悩の日々を超え、新たな一歩を踏み出した松下の野球人生は、まだ序章に過ぎない。(記事 堀部遥、カメラ 菊池瑞)

    

一覧へ
TOPへ