卒業特集2009
(14)アイスホッケー部/久慈修平
『大学日本一』のその先へ
「すごい苦しくて、厳しかった」――秋季関東大学リーグ戦を制し、19年ぶりに日本学生氷上競技選手権(インカレ)優勝に導いた久慈修平(社)が主将として過ごした1年を振り返る。順風満帆にスターダムを駆け上がり、速い滑りと力強いショットを放つ『大学日本一』と言われる久慈にはかつてないほどの大きな主将の使命が用意されていた。
昨年までの戦術指導員が、今年は不在。久慈は選手、主将、さらにコーチの3つの重責を任された。頭が破裂しそうになった時期もあったが、周囲の支えで戦術を練り上げることに成功。その結果、秋季リーグで優勝を果たし、勝利による自信を胸に、最終目標であるインカレに臨んだ。過去19年インカレ制覇から遠ざかっているワセダ。日本代表として活躍する小川勝也(平20スポ卒=現王子イーグルス)が主将を務めた史上最強と語り継がれる『黄金時代』でさえ、春秋連覇で三冠を目前に4位に終わった鬼門だ。総得点42点の猛攻、不安視された守備も失点は3点。すべてのプレーの中心には、久慈がいた。MVPに選ばれ、その他の賞すべてワセダが独占する鬼門の『完全制覇』だった。歓喜につつまれた会場で輪から離れしゃがみ込む姿。「何の感情も無かったが、いろいろなことが頭に浮かんだ」。普段は決して見せることのなかった涙が主将としての責任の達成を物語っていた。

4歳でスティックを握り、恵まれた環境で過ごしたことで才能を開花させ、駒大苫小牧高時代には、『高校日本一』を経験した。大学選択の決め手の一つは、高校の先輩で、ワセダに進学した小原大輔(平16社卒=現日本製紙クレインズ)への憧れだった。高校ナンバーワンの小原を中学時代から目指し、同じ門を叩く。注目をあび、1年時から試合に出場。二冠の栄光を2度味わう一方で無冠も2度を経験した。この中で久慈に大きな影響を与えたのは、1、2年時に同じセットを組んだ久保直也(平20社卒=現日本製紙クレインズ)だった。「ホッケーはもちろん、日常生活についても久保から多くを学んだ」と久慈は語る。「その2年間があって、3年のときにすごい色々な事を考える事ができるようになった」。久保とともに歩んだかけがえの無い2年の歳月が、今日の主将としての資質に磨きをかけ、超大学級選手へと成長させたといえる。
昨年夏には、北米プロアイスホッケーNHL、ニューヨークアイランダーズのプロスペクトキャンプに参加、日本代表として世界選手権に出場など、世界のホッケーに触れた。周囲からも若いうちに世界に挑戦すべきだと後押しされることもある。だが、久慈は卒業後に地元苫小牧にあるアジアリーグ・王子イーグルスでのプレーを選んだ。「NHLという言葉を簡単に口に出したくない」――国内でもどこまで活躍できるかはわからないのも事実だ。しかし、決して後ろ向きに考える事はしていない。むしろ、「新人賞やポイント王を積極的に狙っていく」と不退転の決意を見せる。アジアリーグで『日本一』の選手になり自信が持てた時、その3文字は頭の中に浮かんでくる。
高校時代に頂点に立ち、ワセダの4年間でもインカレ優勝、さらには選手としても大学日本一に登り詰めた。階段を一つ一つ上るように、久慈はそれぞれの場所で確実にトップに立っていく。これから進むアジアリーグでも、日本一の選手になり、4年後のソチ五輪で背番号21がリンクを駆け抜ける姿が見られるに違いない。その第一歩を踏み出すために、久慈は苫小牧に凱旋する。(記事・カメラ 伊沢浩志)
一覧へ
TOPへ