卒業特集2009
(8)競泳部/北川麻美
最高の『麻美Smile』を…
2008年北京オリンピック、北川麻美(スポ)は真夏の青空の下で『麻美Smile』を爆発させていた。
得意の200メートル個人メドレーでは予選で憧れだった萩原智子(山梨学院)の日本記録を8年ぶりに更新する好タイムを叩き出すと、準決勝でさらに更新し、決勝では日本人選手として初めての2分11秒台となる2分11秒56で6位入賞。100メートル平泳ぎでも決勝に進出するなど彼女の活躍は目覚ましかった。
北川の快進撃は大学入学直後から始まっていた。埼玉・春日部共栄高校から古賀淳也(スポ4)とともにトップアスリート入試の1期生として鳴り物入りで入学すると、直後に行われた日本選手権では200メートル平泳ぎ、200メートル個人メドレーで優勝。この結果によりドーハ・アジア競技大会とメルボルン・世界水泳への切符をつかんだ北川の存在は一躍世間に広まっていった。
それと同時に北川は世界との差を痛感させられることになる。初出場した07年3月のメルボルン・世界水泳では、出場した全種目で準決勝敗退。国際大会で結果を残すことの厳しさを味わった。それでも8月のユニバーシアード、続けて出場した千葉・世界競泳でも強敵が揃う中入賞を果たし、徐々に世界との差を縮めていく。「世界大会で自己記録を出す難しさも十分わかっていると思うし、大きな大会で自己ベストを出すのは最低かつ最高の目標かなと思います。」(北川)どのような規模の大会であろうと自分の泳ぎに集中すること。世界と戦う中で北川が見つけた一つの答えだった。
そして迎えた北京オリンピック。北川はその言葉通り自分の泳ぎに集中し、最高の結果を手にしたのだ。
しかし、最終学年となった今年、北川は思わぬ不調に苦しんでいる。調子が狂い始めたのは6月のジャパンオープン。200メートル自由形で予選敗退した後、翌日の200メートル個人メドレーと400メートル個人メドレーを棄権した。体調不良だったとはいえ情けない結果。さらに8月のローマ・世界水泳、9月のインカレでも不本意な成績に終わり悔し涙を流した。
「タイムも出ない。気持ちも不安定。なんで泳いでいるのかわからない。」そんなとき実感したのはたくさんの人に支えられているということだった。家族、コーチ、友達。たくさんの人に支えられているからこそ北川には乗り越えなければならないものがある。高校時代からともに戦い、北川自身が「一番負けたくない存在」と語る古賀淳也も、北京オリンピックの代表選考会で敗れた屈辱を乗り越え、昨年のローマ・世界水泳で優勝した。北川もまたそんな力を持つ選手の1人に違いない。負けず嫌いの彼女ならばきっと乗り越えられるだろう。北川は泳ぎ続ける。最大の試練を乗り越え、最高の『麻美Smile』を見せるために…。(記事 奈良圭、カメラ 小南祐太)

北川
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