インタビュー
【水泳部】古賀淳也インタビュー(後編)
――期間中は平井伯昌ヘッドコーチ(昭61社卒)の指導を受けていたのですか
いえ、ユニバーシアードの時は奥野(景介競泳監督=昭63教卒)監督で、ルクセンブルグの時は道浦(健寿)先生、世界水泳期間中は鈴木陽二先生に。
――鈴木陽二先生には昨年10月に指導を受けられたのですか
インターナショナル合宿だとか代表合宿では陽二先生に見てもらうことは多かったですね。僕の担当の先生がスウィン埼玉の石森(昌治)コーチなんですが、石森コーチはジュニアの選手もたくさん抱えているので、僕一人について行くとほかの選手たちを見れなくなりますし、そういった意味で代表のコーチはお断りしていたので、石森コーチが陽二先生にお願いする形になって。陽二先生のいる時は陽二先生に見ていただいていたんです。
――100後50まで2日間ほど時間がありましたが、その期間はどう過ごされていましたか
他人のレースを見るのがすごく好きなので、陵介のレースやフェルプスのレースなどを見て、金メダル取ったことはもう忘れて、次のレースに生かせることはないかなとか、あとは参考になる泳ぎが目の前にあるので、自分で気づけることはもっと探したり。50に向けてどこを気をつけてどういう風に泳げばいい結果が出るかなっていうのを考えながら過ごしていました。
――もちろん50でも金メダルは狙っていましたか
そうですね。金メダル云々よりは自分の結果を出すことを考えようとはしていたのですが、どうしてもやっぱり金メダルがちらついたりとか世界記録がちらついたりとかしたので。勝ちの気持ちっていうのはなるべく持ったらいけない物なんですけど芽生えてきちゃって、しかも古橋(広之進)先生が亡くなられて(50 決勝の直前に逝去された)、どうしてもメダルを取りたいと考えてしまったのは力みにつながってしまったとは思います。
――古橋氏が亡くなられたのはやはり影響しましたか
びっくりしました。決勝の前にミーティングがあるという話を聞いて、決勝前なのにと思いながら行ったら亡くなられたと言われたので、「決勝前なのに」とかなんていうことを考えていたんだと思って…そういうことを考えた分ちゃんと金メダルを取ってはなむけできたらと思いました。でもそれは逆に力みにつながってしまった。取れれば一番良かったんですけど、取れなかったということは、そういうことで左右されることもあるから、もっと成長できるんだよって言ってくれたんじゃないかなと今は捉えていますね。
――もし50で金メダルを取っていたら、満足のいく結果は得られていたと感じますか
いや、あまり変わらないんじゃないかと思います。そこで気づくことが逆に一つ得られたということが大きいというか、金メダルを取っても、金メダルは取れたけどまた別のことを気付けると思うので。やはり今大会の位置づけはステップとして考えていたので。
――50はリアム・タンコック選手(英)が優勝しました
速かったですねー…。後で映像で見ても、スタートであれだけ離していたのに、バサロや初めのかきの部分、一かき二かき、三かきくらいで差が付いてしまっていたので、やはり速かったですね。
――古賀選手のスタートの速さは天性のものなのでしょうか
いやー、どうなんでしょうね。でも陵介も速いですし、そこら辺分かったら面白いかなとは思います。
――100に戻ってしまうのですが、決勝のタイムは52秒26、世界記録に届かなかったことはご自身で考えていかがですか
それはすごく残念です。けど、そこでさっきの金メダル2個取ったらというのと同じ話で、ここで金メダル取って世界新出してってなったら、今考えたら変わらないでいようと思えますけど、その時に一気に目標にしていたことが同時に2つ手に入って、しかもピアソル選手を抜く記録を出していたら、ちょっと変わっていたかと思いますね。
――どういったように
優勝のコメントの時でも感謝の気持ちを素直に表せなかったでしょうし、リアクションもしていたと思うので。
――メドレーリレーにも出場されました。予選は入江選手が泳いで決勝は古賀選手が泳ぎましたがどういった経緯で決められたのですか
負けた方が予選で勝った方が決勝と前から聞いていたので。リレーは度外視して100は100で泳ぎたいと思っていたので、ただ決勝泳いでタイムがあまり良くなかったので、そこは集中力や体力の部分で不安があったので、そういう所は課題です。
――今大会は水着の問題が多く取り上げられました。古賀選手は何社製の水着をはいていたのですか
デサントです。
――左右される所はありましたか
周りの選手がそういう道具を使って泳いでいる中で、自分も使えるように泳ぐというか、不公平の無いように。彼らがそういう風に泳ぐのであれば僕も同じように泳ぐので。
――もういわゆる“高速水着”は禁止になりますよね
はい、1月から。アメリカだと10月から禁止になるみたいですけど、日本は1月からです。ハーフスパッツになって、パネルなど水を通さない素材はもうだめですね。
――それでまたタイムなど変わってきますよね
そうですね、周りの選手は変わってくると思います。どのくらいタイムが左右されるかで変わった変わってないと判断されるのか僕には分からないですけど。でも国体の時にハーフスパッツで1レース泳いだんですけど、その感覚としては影響はあまり感じられなかったですね。他少気になる部分はありましたけど、でも履く履かないで1秒くらい差が出たとして、僕はベストが52秒なのでベストの状態で53秒くらい調子が良ければ出てたのではと思いますし、冬場の泳ぎ込みを行うことで来年も52秒は出ると思うので、それを考えたら、僕の中では差はそこまで無いんじゃないかなと。同じ52秒台ですし、差はそこまで出てこないとは思うんですけど、周りの人が0.3秒落ちただけで差が開いたと判断されるかも知れないですし、大きく下がった選手はそういう風にされて当たり前だと思います。どこら辺がラインかというのは分からないので。
――あまり水着は気にせず
そうですね、僕の場合は… 大塚さん上半身は覆ってなかったからね。100決勝の時も入江選手と古賀君だけが下だけで、あとは全員上も覆っていたましたから。上まで着ている選手はかなり影響あるでしょうね。
――昨年のジャパンオープンで日本新がどんどん出る中、レーザーレーサーを着ていなかったのは古賀選手だけ、ということもありましたよね
そうですね、しかもスパッツだったので。前から僕はスパッツが好きだったんです。しめ付けられるのが嫌いで。足もしめ付ける素材がはやっているんですけど、デサントの水着はしめ付けがそこまでではないので、こう…縛られたくないみたいな。15の夜的な(笑)。
――世界水泳を経て一番成長したところはどこだと考えていますか
そうですね…周りに左右されず、自分のやってきたことを信じてしっかり泳げば、おのずと結果は付いてくるっていうのと、あとは一通りの気持ちを経験できた、大きい舞台での気持ちというのはどういう風になるのかなっていうのが分かったので、経験を積めたことで気持ちが成長できたのかなあと思います。経験を積めたのはすごく大きかったですね。
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