箱根インタビュー
【特集】新春ヲ追憶ス~箱根路の想い~ 4区 大串顕史
全10区の中で最も短いスピード区間、4区を任されたのは入学以来ここまで目立った成績を残せていなかった大串顕史(スポ2)であった。9月の合宿中に怪我をして駅伝シーズンを棒に振るかと自身でも思ったと話す彼が、この大舞台で得たものとは――。その胸中を垣間見させていただいた。
※この取材は1月16日に行ったものです
――いまはどのような練習を
いまはちょっと怪我をしちゃって練習をやってないです。
――それは箱根が終わってからですか
終わってからですね。疲労がちょっと…。12月まで練習をやってなくて、一気にまた詰めてやったのでその反動がきちゃって。
――箱根を走り終えた時の気持ちは
いやもう全然走っている時のことを覚えていないので何とも言えないです。本当に全然何がなんだかわからないまま終わっちゃったので。
――それは気付いたら終わっていたというか
そうですね。結局自分がブレーキしちゃった訳で。いま思えることといえば後悔がだいぶ。ちょっと事前の準備がもうちょっとうまくできていれば…。
――レース前は緊張しましたか
いや、緊張はしてないですね。前日もしっかり寝れたので。緊張というよりはむしろ自分の憧れの舞台で走れるっていう嬉しさがあったんですけれけど、いざ走ってみると3キロすぎでちょっとわき腹が痛くなってしまって。そこからは15キロ、何が何だかわからないまま終わっちゃって。
――そこからの記憶は
監督に怒鳴られたことぐらいしか覚えていないです。
――渡辺康幸(平8人卒)監督から何を言われたかなどは覚えてないですか
タスキをつなげってことしか覚えてないですね。
――走っている時は耳に入る言葉が気になりませんでしたか
いや、むしろ快調に走れていれば気付いていたんだろうけれども、精一杯自分の走りに集中していちゃっていたので。とりあえずここでタスキをつなげなかったら最悪だと思って死ぬ気で残り15キロを走ったという感じです。
――そういう意味ではレースには集中していたということですか
そうですね、集中していたというか目的はちょっと違う意味での集中でしたけど…。とりあえず。タスキを繋ぐだけということでは集中していました。
――沿道からの声援は聞こえましたか
いや、もう後半は前の放送車しか見えていなかったのでまったく沿道の声援など耳に入らなくて。完全に自分と前しか見えていない状態でした。
――レース前の怪我の状態は
9月の合宿で疲労骨折をやって、そこからもう2ヵ月全く走らずにきたので、12月にいきなり僕を箱根のメンバーにエントリーするってことを聞いた時はちょっと無理なんじゃないかなと思ったんですけど。とりあえず精一杯自分のやることをやって、それで1月1日に僕が4区を走ることが決まって。まぁやっぱり運が良かったとも言えるんですけど、とりあえずとんとん拍子で自分が走ることが決まっちゃいました。
――疲労骨折をしてからは全く走っていなかったということですか
全く走ってないですね。軽く筋トレをやっていたくらいで。10、11月と走れていないと絶対に箱根は無理なので、気持ちが切れている部分もありましたね。
――そのような中で自身がエントリーされた理由は何故だと思いますか
ちょっとわからないですね。僕もちょっと監督の意図が汲み取れない部分があったので。12月の時点では。正直、自分がエントリーされたのはなんでだろうと未だに疑問は持っているんです。
――箱根を走り終えたあとにその点に関して話はしましたか
しました。「4区にエントリーしたことは後悔していない」ということを言われました。
――その理由などは
僕は聞いてはいないです。あんまり聞きたくなかったです。12月の時点でエントリーに入っただけでももう自分としては満足していた部分が悪かったかなっていうのもあるんですけど。
――レース前はどのような展開を予想していたか
とりあえず、矢澤(曜=教2)と尾﨑(貴宏=教4)さんと平賀(翔太=基理1)で間違いなくトップ5以内に入ってくると思っていたので。僕としてはとりあえず区間3番ではいきたかったなと。いまタイムを見返してみると、たらればの話になっちゃうんですけどやっぱり3番以内には入れたなと。
――もともとの設定タイムは
1キロ3分押しなんでだいたい56分ぐらいでした。設定通りに走れていればいけたんじゃないかと。
――区間エントリーの時の気持ちはどのようなものでしたか
区間エントリーの時点では最終候補として僕と佐々木(寛文=スポ1)が4区に残っていたんですけど、佐々木の方がやっぱり実力的には上だと思っていたので、僕は(走ら)ないと思っていたんですけれども1日に決まりました。
――1月1日にエントリーが決まってからの気持ちはどうでしたか
そうですね、びっくりと嬉しさとがありました。

大串
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